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草場さん
大変丁寧なご説明ありがとうございます。
推測で約1500年、短くても約900年もの歴史があるんですね。
驚きました。
実体験についても書かれていて説得力を感じました。
仏雙六だと、ヒットの面白みがなさそうですね。
草場さん
大変丁寧なご説明ありがとうございます。 推測で約1500年、短くても約900年もの歴史があるんですね。 驚きました。 実体験についても書かれていて説得力を感じました。 仏雙六だと、ヒットの面白みがなさそうですね。
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投稿記事 |
Posted: 2018/09/15 04:53 |
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草場さん
とても興味深く面白いお話をどうもありがとうございました。
個人的には「面白いから今の配置になった」のはしっくりくる理由です。
オープニングとレスポンスムーブにこそギャモンの醍醐味がつまっていると常々感じており、この配置ならではだと思います。
草場さん とても興味深く面白いお話をどうもありがとうございました。 個人的には「面白いから今の配置になった」のはしっくりくる理由です。 オープニングとレスポンスムーブにこそギャモンの醍醐味がつまっていると常々感じており、この配置ならではだと思います。
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投稿記事 |
Posted: 2018/09/11 22:04 |
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済みません。本分冒頭の遊戯史学会の「史」が抜けていました。
私は遊戯史学会の会員で、かつJBL会員です。
済みません。本分冒頭の遊戯史学会の「史」が抜けていました。 私は遊戯史学会の会員で、かつJBL会員です。
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投稿記事 |
Posted: 2018/09/11 16:27 |
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遊戯学会員の草場です。この答えについて先に結論を述べるなら「正確なところはわかりません」。
現在の初期配置(確立した用語はないようなので仮に「本双六配置」と呼びます)は、5世紀までの
トルコかギリシャやローマ近辺など地中海沿岸で成立したように思われますが、その経緯は分からないです。
なぜならそのような史料がないからです。現代のわれわれはルールブックを読んでゲームをプレーするのは
当然のことのように感じますが、それは近代になってからの話で、近世までの伝統ゲームの伝承は原則として
口伝です。もちろんこの「口伝」は、やりながら覚える、見ながら覚える、を含んだ広い意味です。
ですから「初期配置はこれです」などと明示するような文献は、近世になるまで出てきません。(『譜雙』は
貴重な例外です。) 従って確実なことは言えず、様々な傍証から推測すると言うことになります。
物事の発展には足し算型と引き算型があり、進化などは足し算型で考えられがちですが、ギャモンの成立
は引き算型ではなかったかと、私は推測します。なぜなら現在の24マスの盤は成立以前はもっとマス目が
多かったろうと言われるからです。これはそのような盤が出土するから言えることで、残念ながら出土品では
初期配置は分かりません。途中の配置なら、数は少ないのですが若干の資料があるのですが不明確です。一方
ダイスを3つ使うという話がよく出てきます。ですから日本の将棋類が、さまざまな大将棋類の試みの中から
淘汰されて現在の小将棋が成立したように、縮小化の結果、現在と同じ盤・駒・賽のセットになったのであろう
と私は考えます。するとその過程で多くの可能性が試され、本双六配置に到達したのではないか思われます。
初期配置を示す確実な資料は、かなり時代は降りますが1151年の中国に現れます。そこでは本双六配置(平雙六)
のほか、三堆雙六(大和配置)、四架雙六、大食雙六などの初期配置が登場します。原則駒は15個ずつですが、
七梁雙六では14個ずつ、仏雙六では12個ずつとなっています。また朝鮮やタイの古い史料では駒が16個というのも
登場します。ここで興味深いのは仏雙六で、初期配置はありません。つまりダイスに従って駒を盤に入れるところ
から始めるのです。これが最も古い形のルールではないかと主張する人もいます。
では本双六配置が採用された理由は何でしょうか。私は上記の全ての初期配置でゲームをやってみました。
ルールは、「先手を決めてから始める」のと、「ぞろ目を2倍しない」以外はバックギャモンのルールです。その
結果 殆どの初期配置は冗長で、ゲームになりませんでした。尤もこれは現代人の私の感想で、昔の人がどう感じた
かはもちろんわかりません。またルールが本当に正確かも、絶対保証できるというものでもないです。とは言え、
私流の結論を述べるなら、「バックギャモンの初期配置が本双六配置になったのは、それが一番面白いから」と
いう平凡と言えば平凡なものであります。付け加えるなら、面白いいくつかの配置のうちで、最もシンプルな形と
いうことだと思います。面白くてもあまり複雑だと覚えきれないからです。
古いタイプの初期配置を知りたい場合は 洪遵著『譜双』1151年 をご覧ください。早稲田大学のアーカイブに
あったと思います。
遊戯学会員の草場です。この答えについて先に結論を述べるなら「正確なところはわかりません」。 現在の初期配置(確立した用語はないようなので仮に「本双六配置」と呼びます)は、5世紀までの トルコかギリシャやローマ近辺など地中海沿岸で成立したように思われますが、その経緯は分からないです。 なぜならそのような史料がないからです。現代のわれわれはルールブックを読んでゲームをプレーするのは 当然のことのように感じますが、それは近代になってからの話で、近世までの伝統ゲームの伝承は原則として 口伝です。もちろんこの「口伝」は、やりながら覚える、見ながら覚える、を含んだ広い意味です。 ですから「初期配置はこれです」などと明示するような文献は、近世になるまで出てきません。(『譜雙』は 貴重な例外です。) 従って確実なことは言えず、様々な傍証から推測すると言うことになります。 物事の発展には足し算型と引き算型があり、進化などは足し算型で考えられがちですが、ギャモンの成立 は引き算型ではなかったかと、私は推測します。なぜなら現在の24マスの盤は成立以前はもっとマス目が 多かったろうと言われるからです。これはそのような盤が出土するから言えることで、残念ながら出土品では 初期配置は分かりません。途中の配置なら、数は少ないのですが若干の資料があるのですが不明確です。一方 ダイスを3つ使うという話がよく出てきます。ですから日本の将棋類が、さまざまな大将棋類の試みの中から 淘汰されて現在の小将棋が成立したように、縮小化の結果、現在と同じ盤・駒・賽のセットになったのであろう と私は考えます。するとその過程で多くの可能性が試され、本双六配置に到達したのではないか思われます。 初期配置を示す確実な資料は、かなり時代は降りますが1151年の中国に現れます。そこでは本双六配置(平雙六) のほか、三堆雙六(大和配置)、四架雙六、大食雙六などの初期配置が登場します。原則駒は15個ずつですが、 七梁雙六では14個ずつ、仏雙六では12個ずつとなっています。また朝鮮やタイの古い史料では駒が16個というのも 登場します。ここで興味深いのは仏雙六で、初期配置はありません。つまりダイスに従って駒を盤に入れるところ から始めるのです。これが最も古い形のルールではないかと主張する人もいます。 では本双六配置が採用された理由は何でしょうか。私は上記の全ての初期配置でゲームをやってみました。 ルールは、「先手を決めてから始める」のと、「ぞろ目を2倍しない」以外はバックギャモンのルールです。その 結果 殆どの初期配置は冗長で、ゲームになりませんでした。尤もこれは現代人の私の感想で、昔の人がどう感じた かはもちろんわかりません。またルールが本当に正確かも、絶対保証できるというものでもないです。とは言え、 私流の結論を述べるなら、「バックギャモンの初期配置が本双六配置になったのは、それが一番面白いから」と いう平凡と言えば平凡なものであります。付け加えるなら、面白いいくつかの配置のうちで、最もシンプルな形と いうことだと思います。面白くてもあまり複雑だと覚えきれないからです。 古いタイプの初期配置を知りたい場合は 洪遵著『譜双』1151年 をご覧ください。早稲田大学のアーカイブに あったと思います。
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投稿記事 |
Posted: 2018/09/11 09:19 |
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はじめまして。
駒の初期配置についてお尋ねします。
現在の配置はいつの時代に決められたのでしょうか?
また、それ以前には他にもいろいろな配置があったのだろうと思いますが、今の配置が採用された理由は何だったのでしょうか?
ご教示いただければ幸いです。
はじめまして。 駒の初期配置についてお尋ねします。 現在の配置はいつの時代に決められたのでしょうか? また、それ以前には他にもいろいろな配置があったのだろうと思いますが、今の配置が採用された理由は何だったのでしょうか? ご教示いただければ幸いです。
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投稿記事 |
Posted: 2018/09/03 08:55 |
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