遊戯学会員の草場です。この答えについて先に結論を述べるなら「正確なところはわかりません」。
現在の初期配置(確立した用語はないようなので仮に「本双六配置」と呼びます)は、5世紀までの
トルコかギリシャやローマ近辺など地中海沿岸で成立したように思われますが、その経緯は分からないです。
なぜならそのような史料がないからです。現代のわれわれはルールブックを読んでゲームをプレーするのは
当然のことのように感じますが、それは近代になってからの話で、近世までの伝統ゲームの伝承は原則として
口伝です。もちろんこの「口伝」は、やりながら覚える、見ながら覚える、を含んだ広い意味です。
ですから「初期配置はこれです」などと明示するような文献は、近世になるまで出てきません。(『譜雙』は
貴重な例外です。) 従って確実なことは言えず、様々な傍証から推測すると言うことになります。
物事の発展には足し算型と引き算型があり、進化などは足し算型で考えられがちですが、ギャモンの成立
は引き算型ではなかったかと、私は推測します。なぜなら現在の24マスの盤は成立以前はもっとマス目が
多かったろうと言われるからです。これはそのような盤が出土するから言えることで、残念ながら出土品では
初期配置は分かりません。途中の配置なら、数は少ないのですが若干の資料があるのですが不明確です。一方
ダイスを3つ使うという話がよく出てきます。ですから日本の将棋類が、さまざまな大将棋類の試みの中から
淘汰されて現在の小将棋が成立したように、縮小化の結果、現在と同じ盤・駒・賽のセットになったのであろう
と私は考えます。するとその過程で多くの可能性が試され、本双六配置に到達したのではないか思われます。
初期配置を示す確実な資料は、かなり時代は降りますが1151年の中国に現れます。そこでは本双六配置(平雙六)
のほか、三堆雙六(大和配置)、四架雙六、大食雙六などの初期配置が登場します。原則駒は15個ずつですが、
七梁雙六では14個ずつ、仏雙六では12個ずつとなっています。また朝鮮やタイの古い史料では駒が16個というのも
登場します。ここで興味深いのは仏雙六で、初期配置はありません。つまりダイスに従って駒を盤に入れるところ
から始めるのです。これが最も古い形のルールではないかと主張する人もいます。
では本双六配置が採用された理由は何でしょうか。私は上記の全ての初期配置でゲームをやってみました。
ルールは、「先手を決めてから始める」のと、「ぞろ目を2倍しない」以外はバックギャモンのルールです。その
結果 殆どの初期配置は冗長で、ゲームになりませんでした。尤もこれは現代人の私の感想で、昔の人がどう感じた
かはもちろんわかりません。またルールが本当に正確かも、絶対保証できるというものでもないです。とは言え、
私流の結論を述べるなら、「バックギャモンの初期配置が本双六配置になったのは、それが一番面白いから」と
いう平凡と言えば平凡なものであります。付け加えるなら、面白いいくつかの配置のうちで、最もシンプルな形と
いうことだと思います。面白くてもあまり複雑だと覚えきれないからです。
古いタイプの初期配置を知りたい場合は 洪遵著『譜双』1151年 をご覧ください。早稲田大学のアーカイブに
あったと思います。
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