みなさま、ご意見ありがとうございます。
また、閲覧されている方も非常に多く、関心が高いことありがたく
感じております。
ご説明には歴史的経緯を最初にお話しするのが分かりやすいかと思いますので少し昔話を。
長いので飛ばしていただき次項をご覧くださって結構です。
日本選手権は協会前身のテンヨーが24回までを、引き継いだ私どもが主催するようになって13年今年で37回になります。
第22回大会は6月にバックギャモンオリンピックが開催されるとの情報
を受け、優勝者を派遣するとの協会決定で急遽5月のゴールデンウィークに開催されることになりました。
私は当時一会員でしたが、幸運にも優勝でき多くの先輩とともにベニスに向かいました。
大会は極めて衝撃的でした。当時日本では80年頃の一大ブームが飛んでバックギャモンは衰退し、30歳だった私が一番年下のグループに属すなど知名度もほぼ消滅していました。それがヨーロッパでは立派なカジノのショーホールを使い、華燭に包まれた大会を肌で感じ「これだ!」と思ったのです。
第23回大会は翌年の11月に開催されることになっていたので、その年の
7月に私はモンテカルロの世界選手権に単独で参加してみました。
その衝撃はベニスを大きく上回るものでした。
「バックギャモンの世界はなんてすごいんだ!日本で復活させよう」
帰国した私は協会に日本選手権の優勝者をモンテカルロに派遣するよう
進言しました。
22回大会の派遣は単発で協会は継続する気がなかったからです。
なんとかOKが出てテンヨー主催の日本選手権は23回が高橋佳成さん
、24回が小倉裕二さんが代表としてモンテカルロに多くの仲間たちと
参加し、今の協会のベースができていったのです。
今はバックギャモンフェステイバルとなっていますが、数年前までは
正式名称はジャパンオープンで第一回大会では日本選手権の上の
プロフェッショナルクラスの賞金大会として設営したので、ジャパンオープンと
日本選手権は同時に参加できませんでした。
第一回のオープンは日本選手権と同様に予選ラウンドを経て決勝トーナメントに進出するシステムでもありました。
オープン参加者から日本選手権にも出場したい希望があり
第2回以降オープンと選手権を両方参加できるようにしました。
そのままオープン優位で7年ほど続きます。
5年前に、それぞれ権威があるオープンと日本選手権を分離開催しよう
という動きがあり、日本選手権をまず開催、それだけでは物足りない
だろうから、オープンよりエントリーフィーを下げたTokyo Openを併催しました。
分離開催を企画したものの、二つの大きな大会を仕切るマンパワーも
資金も不可で結局は併催という形で続きます。
このときから日本選手権優位に転じていきます。
今回の話題が盛り上がったのも日本選手権が大切だとみなさん思っているいるからこそでしょう。
さて、これまでの間、日本選手権の賞品はモンテカルロ派遣でした。
6年前の大会では優勝したアメリカ人のJordanさんがその時期に
いけないとのことで、次にに譲ってくれないかということで、2位、3位の方と
も相談し、せっかくだからトーナメントをと、企画したのがJordan Cupでした。
それで優勝した市川さんがモンテカルロに参加することになりました。
今では多くのプレーヤーが自費で海外に渡って活躍しています。
その原動力になったのが日本選手権優勝者へのモンテカルロ
派遣だったのは間違いありません。
最後に編集したユーザー shimohei [ 2007/09/05 02:26 ], 累計 1 回
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