home  ’94 モンテカルロ旅行記「乾杯、日本選手団」 by 長谷川 俊介

 火曜日の本戦敗退、水曜日のスーパージャックポット敗退、ジャックポット6連敗と失 意のどん底で迎えたこの日(7月14日(木))は、リゾート気分を味わうことから始ま った。
 沼沢氏の友人がモナコ郊外のホテルオーナー夫人であり、我々日本選手団は昼食に招待 されたのだ。ホテル・エステルは四つ星で、プライベートビーチもある白亜の殿堂で、以 前、TVコマーシャルにも使われた素敵なホテルである。
 オーナー夫人の「ようこさん」はF1のエージェントであり、いかにもモナコらしい会 話を楽しむことができた。地中海の青い海と強い日差し、頬をつたわる涼やかな風が、こ れまでの嫌な出来事を忘れさせてくれる。充電は完了した。

 1stコンソレーション(敗者慰安戦)の開始である。上品そうな初老の御婦人が対戦 相手であったが、すぐに負けてしまった。

 負け癖がついてしまってはいけない、とにかく1勝しなければ。そんな思いで、私は、 ピジョン(鴨)を探していた。会場をうろうろしていると、下平氏が面白いジャックポッ ト(通常8人集まり次第随時行われるミニトーナメント)をしているから参加しないかと 教えてくれる。
 ウオッチトーナメントだ。勝つと賞金ではなく、特製ウオッチが貰えるのだ。しかも、通常のジャックポットはエントリー費が最低200フラン(約4千円)であるが、そのトーナメントは100フランであった。つまり、強い奴はいないのだ。とにかく勢いを取り戻したい一心で参加した。

 進行役が手合いをつけてくれる。先程の御婦人だ。今度は慎重にゲームを行う。同じ過 ちを繰り返さないことが大切だ。キューブにさえ手を掛けなければ、基本的にビギナーな ど私の敵ではない。大過なく勝ちきる。
 続く二人もビギナーだった。私は2時間程で特製ウオッチを手にすることができた。文 字盤に「ジャックポットウイナー」と書かれたリバーシブルの時計であった。  なお、この話は、玉田氏には禁句であるのでご留意願いたい。

 続いて私は、昨夜の篠氏のアドバイスに従い、ジャックポットに専念することにした。
 先ずは、お金よりも勝って勢いを持続することが重要だ。私は、迷うことなく、一番安 い200フランの初・中級にエントリーした。
 気持ちさえ立ち直れば、このクラスは何ら問題はない。二人勝ち抜いて、決勝戦となっ た。賞金を手にすることができるのは、優勝者一人である。通常、ゲームを始める前に、 プレーヤー同士でセトルメントする。賞金は1400フラン(通常1/8は手数料)であ る。
 私は10対4を主張した。英語の苦手なイタリア人は11対3を主張した。つまり、彼 は勝つ自信があるというわけだ。再び私は同じ主張を繰り返した。彼は譲る気がないよう だった。そこで私は14対0を提案し、交渉はまとまった。彼は、私が誰だか分かってい ないようだった。
 ジャックポットは通常7ポイントマッチである。私の5対3で迎えたラストゲーム。私 のベアリングインの最後ブロットが発生してしまった。キューブは手元にある。僅かにギ ャモン負けもある。しかし、3ポイントゲーム、ヒットチャンスは最初で最後に思えた。  彼はロールの前に何言かわめいている。どうやら、ゲーム前に何故10対4を主張して いた私が、どうして14対0に翻意したのか理解できないと罵っているようだ。
 私は、「ロールしないなら、10対4で終わってもいいよ」と言ってやった。彼は3分 程悩んだ末ダイスを振った。当然の如くショットミスした。

 マッチ2連勝に気を良くした私は、回収作業に入ることにした。オープンの500フラ ンのジャックポットに復帰だ。
 たちまち、二人勝ち抜いて決勝だ。当然セトルメントをする。賞金の3500フランを 20対15でまとめた。欲張ってはいけない。相手だって一応チャンピオンシップに参加 している腕自慢だ。もっとも、田舎初段みたいな奴が大部分だが。

 この後、とてもしつこいアゼルバイジャン人をマネーゲームで可愛がってやり、この夜 は帰った、完全復帰だ。明日は頑張るぞ。

 翌15日(金)は、2ndコンソレーションの日である。心身ともにリフレッシュした 私は、火曜日の私とは違う。初級戦に参加しているという慢心は既にない。扇子を広げる というパフォーマンスも止めることにした。ギャモンの基本は謙虚な気持ちにある。

 初戦で、スーパーショットを振りまくる坊やを、2度の長いブレイクを入れながら、な んとかやり過ごすことに成功した。今日こそはいけるぞと思った。
 ジャックポットなどで余分な力を出さないように、心掛け、この日はコンソレーション のみに焦点を絞った。その結果、更にマッチ2連勝し、土曜日に残ることができた。

 いよいよ、2ndコンソレーションのクオーターファイナル(準々決勝)だ。後一つ勝 てば賞金が手に入る。相手はイタリア人の可愛い娘ちゃんだ。まつ毛が長い。私には火曜 日(前回会報参照)の本戦1回戦敗退の経験がある。憐れみも懸けないし、変な気も起こ さない。
 しかし、クロフォードゲームに追い込まれてしまった。私はオンザバーのままダンスし ている。彼女はインナーメイクできるベストロールを出している。万事休す。
 しかし、私は眉一つ動かさなかった。彼女はここまでこれたことだけで、既にパニック に陥っている。完全に見落としている。回りを取り囲む彼女の男友達共が、鬼のような目 付きで睨んでいる。私は余裕の笑みを浮かべる。絶対に悟られてはいけない。
 この後2ゲームを連取して、辛くも勝ち残ることができた。

 セミファイナル、ファイナルになると、ビギナーでもまともなムーブをしてくる。大変 扱いやすい。変な話だが、ファイナルが一番楽な展開であった。

 その夜は、初級戦本戦のセミファイナリストの野々村氏と二人で祝杯をあげた。

 最終日は団体戦とチャンピオンシップトーナメントの決勝戦である。
 私のいるジャパンAチーム(下平、高橋、長谷川)は1回戦で早々敗退してしまう。
 私は、月曜日にプライベートゲームで楽しませてくれた、ピーター・トーマセンが決勝 に残ってくれて大変うれしかった。また、なんともう一方の対戦者であるファーゴ氏に、 私は、モナコについた初日のジャックポットで勝っていたのだ。
 結果はファーゴ氏の優勝に終わった。とても見応えのあるゲームばかりだった。

 表彰式(カクテルパーティ)で、日本選手団は、私と野々村氏のトロフィーの他に、マ ダムカズコのエレガンストロフィーとチェアマンズトロフィーの合計4個のトロフィーを 獲得した。
 場所をカフェドパリに移し、シャンパンを開けて祝杯をした。全員また来年もモナコに 戻ってくる決意を胸にし、長くも短かった大会を無事に終えることができた。

                完


Copyright(c)2003 Japanese Backgammon League. All rights reserved.