home  「ウエルカムミスタ−ロバティ」 by 長谷川 俊介

 あれは、今年の春先のことだった。私が自宅でもう寝ようかなと思っていたら、電話が かかって来ました。こんな時間に電話してくる奴といえば、下平氏しかいません。やれやれと思い受話器を取ると、いつもの声でした。
 「ビル・ロバティがジャパンオ−プンに来るぞ。」と言うのです。
 下平氏はベニスオリンピック以来、ロバティ氏とは知遇があり、時折国際電話で連絡を 取り合っていたらしのですが、ジャパンオープンの目玉として、氏のレクチャーを思いつ いたのでした。
 詳細な打合せはモンテカルロでするということで、七月の世界選手権を楽しみにしてい ました。

 モンテカルロではある珍事が起こりました。
 トーナメントのドローの結果、第一回戦にロバティ氏とあの田端氏の組合せになりまし た。
 田端氏は終始優勢にゲームを進めていましたが、途中で東洋の神秘ではないことにロバ ティ氏に気づかれてしまい、惜しいところで負けてしまいました。
 このとき私はあることに気づきました。似ている。ロバティ氏と今西氏は。詳しくはビ デオを見て下さい。
 さて、下平氏とロバティ氏の打合せですが、講習代はなんと、ホテル代のみでよいことでまとまりました。

 いよいよ、ジャパンオープンの日が近づいてきました。また、夜中に電話かかって来ま した。いつもの声です。
 「ロバティが一週間前の金曜日にくる。」というのです。
 当日は私も下平氏も都合が付かず、車を出せる川島氏一人で迎えに行ってもらいました。  ロバティ氏の顔を知らない川島氏には、「今西さんにそっくりだよ。」と教えておきま した。
 その夜、我々は三桂クラブで待っていたのですが、到着便が遅れたことや、渋滞もあり 彼は疲れたといって、京王プラザホテルに直行しました。後で分かったことですが、彼は 成田まで、約十五時間かかったそうです。

 翌日、彼を東京見物に連れていくために、ホテルに下平氏と鷹觜氏と一緒に迎えに行き ました。
 我々は、ホテルのティールームで、今回のジャパンオープンのやり方について、彼に意 見を求めました。つまり、オープン参加者は二十人前後の小人数と予想されるため、三日 間持ちそうになかったのです。
 そこで、彼が提案したのが、今回採用した方法です。まづ、二グループに分けリーグ戦 を二日かけて行い、最終日に決勝戦をするやり方です。

 午後は観光です。彼は日本の観光ガイドを二冊も研究してきたらしく、「パレスに行き たい。」と言うので、取り合えず皇居に行くことにしました。 皇居では、団体さんが記 念写真をとっているくらいで、中に入れる訳でもなく、特に見るべきものもなく、玉砂利 の上を、ひたすら歩きました。
 次に、浅草寺に行きました。地元住民である鷹觜氏も浅草寺ははじめてらしく、三人 とも人出の多さに驚きました。
 一回りしたところで、小休止することにしました。彼に箸が使えるかどうか確認した上 で、うどん屋へ入りました。
 うどんを前にして彼は大苦戦してしまいました。結局レンゲでスープを飲んだだけでし た。
 アメリカでもニューヨーカー達の間では、箸が使えることが一つのトレンドなので彼は 見栄を張ったのか、それとも我々に気をつかったのかは、分かりませんでした。

 次の日は待望の月例会の日でした。
 勿論、ロバティ氏も参加しました。彼の来日の目的は、トーナメントで賞金を得るとか、 日本人はお金持ち違いないから、○ネーゲームで稼いでやろうとかではありません。
 事前に下平氏からの説明で、日本のギャモン界の状況については理解しており、彼はギ ャモンの普及のために来日したのでした。彼はバックギャモンプレスの経営者でもあり、  ギャモンの普及こそが彼にとっての利益なのです。

 ご存じのとおり月例会のスタートはくじ引きです。みんなロバティと試合をしたいので すが、全員とできる訳ではありません。ここで、私は一番くじを当てました。
 わずか五ポイントゲームですので、勝敗は時の運です。今回はあっさり、勝たせていた だきました。
 この日彼は、結局、八試合行い五勝三敗でした。残りの勝者は下平氏と、日本のロバテ ィこと今西氏でした。
 彼は一日にこんなに沢山マッチを行ったことはないと、疲れ切ってしまい、アフターフ ァイブもミーティングもしないでホテルに戻ってしまいました。

 また、別の日、三桂で、ジャパンオープンのレクチャーの打合せをしました。ゲームの 要所要所をおさえて、下平氏が通訳し、見ればわかるようなものまで全ては訳さないこと にしました。
 この後、ロバティ氏、下平氏、川島氏、私の四人でシュエットをしました。当然、新ル ールでいつものレートです。
 ロバティ氏のプレーを見ていると、特に目新しいムーブは殆どありませんでしたが、よ く我々がノータイムでプレイしたりロールするようなポジションで、時間を取ることがし ばしばありました。ゲームの考えどころが、事件のかなり前ににあることが分かりました。
 また、ギャモントライへの貪欲さには、これまでの自分の甘さを思い知らされました。

 木曜日の晩はウエカムパーティでした。
 京王プラザホテルのラウンジで、楽しいひとときを過ごしました。しかし、だれも夜景 を楽しむものはなく、来年は、何処かの居酒屋で日本酒でも飲ませた方が気がきいている んではないかと思いました。

 ジャパンオープンの一日目は、くじ引きからです。私は、ロバティ氏とは違うグループ にいって、決勝戦をやりたかったのですが、同じグループになりました。
 このとき、皆上氏が「五十パーセントの確率でロバティとできるなら、オープンに参加 するんだった。」というぼやきを聞き、自分はくじ運が良かったんだと思い直しました。

 私とロバティ氏のオープンでの対戦は、時間の関係で、三桂クラブで行いました。
 私は四点差でクロフォードに追い込まれましたが、からくもこれを逃れることができ、 次のゲームでギャモン勝ちできました。ギャラリー達は最終ゲームにロバティ氏の出目が 急に弱くなったと言っていましたが、目は出す(出させない)ものです。

 結局彼は、グループで同点二位となりました。永井氏との再戦には敗れたものの、コン ソレーションでは、優勝し、やはり、ロバティ恐るべしということを確認しました。

 こんどのベニスオリンピックでは、もう一度対戦したいなあ。 

                  完


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