home  ’94 モンテカルロ旅行記「ライバル・トーマセンとの出会い」 by 長谷川 俊介

 今回の旅行に先立って、私は三つの基本戦略を策定しました。一つは偵察(世界のトッ ププレーヤーの力量を探り、来年以降の参加の是非を決める)、二つ目は観光(私は海外 旅行は初めて)、そして三つ目は金儲け(カジノへ入りびたらない)です。
 第一の目的を達成するためは、直接トッププレーヤーと対戦することが望ましいのです が、プライベートにゲームを行うには最低でも1ポイント百ドル、通常1ポイント五百ド ル程必要になります。元々勝つためのゲームではないので、この条件では第三の目的に反 してしまいます。
 また、チャンピオンシップで対戦することも考えられますが、トッププレーヤーに当た るまで勝ち続けなければ実現しません。
 そこで私が採った作戦は、メイントーナメントを初級戦にし、同時にトッププレーヤー の殆どが参加するスーパージャックポットにもエントリーすることでした。

 しかし、実際に起きた事件は予想のできないものでした。
 月曜日に大会参加の手続きを済ませ会場でピジョン(鳩・日本名鴨)を物色していると (試合は火曜日以降)ひとの良さそうな青年と目が合った。私はすかさずジェスチャーで やろうと誘った。私は昨夜スキンヘッドのジョージア人にやられて持ち合わせが十分では なかったので、相手に先にレートを言わせ安ければそのままやるつもりでいた。彼は「5 0フランで」と言ったので、ピジョンであることを確信しゲームを始めた。予想どおりの 展開になり私はしめたと思った。
 やがて、1時間程過ぎると彼の兄貴分がやってきて、交替しても良いかというので、レ ートの交渉も無かったので、私は快諾した。1週間は長い。ピジョンは1羽でも多く捕ま えておく必要があると思った。またも予想通りの展開になった。但し、彼は鳩というより も雲雀であった。ピーチクパーチクよく喋る奴であった。

 さらに1時間程経過したとき、事件は始まった。雲雀君の後ろに金髪で長身の青年が現 れた。見覚えがある。そうだ、去年下平氏に見せてもらった写真の人物、前回の優勝者ピ ーター・トーマセンではないか。トーマセンは雲雀君に二言三言話かけると。私の方を向 き替わってもかまわないかといってきた。彼としては、学生仲間にいいところを見せつけ るつもりらしが、私はこの願ってもない状況を受け入れた。しかも、レートの交渉もなか った。僅か50Fで勉強できる機会はもう2度と訪れないだろう。
 そしてゲームは始まった。キューブが飛んでくる。やはり的確だ。ギャモン負けの公算 が高い、ジャコビーキューブだ、通常この種のキューブはパッシングである。しかし、バ ックゲームの可能性を残している。私は勉強のつもりでテイクした。勿論レートが安かっ たことも大きなファクターである。
 こうして、私は本来テイクできないキューブを山程ひいた。私の調子は良かった。一進 一退を繰り返しながらも着実に得点が増えていく。ふと気が付くと、回りには人垣ができ ていた。勿論私のプレーを見るためではない。トーマセンを見るためである。パーティの 時間が近いためもある。私は多くのギャラリーにサービスするために、ゲームの要所毎に 扇子を広げるというパフォーマンスを忘れなかった。

 ギャモンプレーヤーは万国共通である。パーティの時間になってもプレーを止めようと しない。主催者側が何度もゲームを中止してパーティに参加するようアナウンスする。
 しかし、なかなか立ち上がらないプレーヤーが多い。業を煮やした主催者側は会場の照明を 消すという荒技にでた。私達はあいかららず、時間のかかるバックゲームをしている。勿 論センターキューブではない。トーマセンがリーダーである。彼が立ち上がり大声で叫ぶ 。すぐ終わるからライトをつけろと。やがて、ベアリングオフ、ブロット発生、当然ヒッ ト、私の駒は原形よりも遅れている。トーマセンのボードは修復不可能である。しかし、 ゲームセットまでは何分かかるか分からない。ついに3度目の消灯。我々はパーティ後の 再開を約束し、ボードをそのまま残しパーティ会場へ移動した。

 パーティが始まる。気楽な雰囲気の中でのカクテルパーティである。午後8時(サマー タイム)を過ぎているのにまだ明るい。モンテカルロは札幌よりも緯度が高いのだ。夕日 に映える地中海を眺めながら、ワインを飲み干す。美味い。会場のローズホテルが4つ星 であることにも増して、ここまで前回優勝者のトーマセンと互角に勝負ができたことが、 より美味い酒にしている。
 見知らぬ外人(当たり前か)が声をかけてくる、トーマセンとのゲームを見ていたらし い。彼は素晴らしいゲームを見せてくれて有り難うといっているようだ、彼の英語は殆ど 聞き取れない。どうやら、ジョージア人の親分らしい。彼は昨日仲間が私に失礼なことを した気にしないでくれとも言っているようだ。
 この後も何人かの人が声をかけてきた。強い者に対する尊敬と憧れが正当に評価されて いる。一昨年、ベニスで下平氏が世界チャンピオンクラスを次々に勝ち進み負けるまで人 気者であったと言う話は本当のことらしい。勿論、上級者から見ればピジョンが一羽紛れ 込んできた程度のことで、高額なレートでやろうという申し入れも多かった。メッキは翌 日すぐに剥がれてしまったが、なかなか、気分のよいものであった。

 パーティは終わった。トーマセンがボードの前にすでに座っている。待ちきれないらし い。ゲームを再開する。そのまま押し切る。私はこのゲームで終わりかなと思っていたが 、トーマセンの目は血走っていた。私はこのとき思った。奴は私がマイナスになるまで終 わる気がないなと。この時点で得点は20点を越えていた。ここで気弱になっていけない 。私は逆に50点を越えたら終わりを告げようと決心した。今思えば、大それたことを考 えていたと思う。

 その後、一進一退を繰り返しながらも得点がマイナスになることはなかった。
 終局は外部圧力により訪れた。エキシビジョンマッチのチャンピオンズチャンピオンシ ップが始まる時間になり、トーマセンがゲームは続行できなくなったのだ。
 結果は29勝30負の+19点であった。こうして6時間におよぶ事件は終わった。
 来年もまた、モナコへ来るぞ心に誓った。 

            続くかも


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