home  ’94 モンテカルロ旅行記「どうした、ポ−ル・マグリエル」 by 長谷川 俊介

 その日はけたたましい電話のベルで目が覚めた。下平である。なにやら怪しげな英語を使っている。どうやら朝食を食べに来いと言っているようだ。
私は指定通り野々村氏の部屋にいく。ホテル近くのマーケットへ買い出しに行ったらしく、サラダとパンが用意されていた。こちらでは、食品をはじめ生活必需品の物価が安い。一人で外食するお金で全員が食べられる程買えるのだ。もっともキロ単位でしか売っていないため、一人では食べきれない。そこで、カフェドノノムラの御開店となった。
 いよいよ今日(7月12日火曜日)からトーナメントである。それぞれ闘志を内に秘め会場へ向かう。手合いは既に決まっている。主催者側でドローしたらしい。世界のアンバサダーである下平氏がその抽選に立ち会ったとのことだ。

 私はトーナメント表に従い席に付く、相手が来ない。20分程遅刻してやってきた。日本の大会であれば、5分につき1ポイントの罰金が付くのだが、ここモナコでは時間は十分にあるため、そんなせこい決まりはない。
 彼は持参したボードだしてこれでやろうと言っている。キングサイズのボードだ。(羽生杯で賞品となったドイツ製のボードと同形)本来大会では備付けのボードがあり、それを使うのだが、私はダイスさえ指定の物を使えば構わないとして、大きなボードでやることにした。
 「アナザーマッチ」と彼が言った、つまり、握ろうというのだ。私は高価なボード(現地価格約15万円)を持っている彼に対し、控え目に500フラン(約1万円)でどうかと提案した。彼は高すぎるので100フランにしてくれというので、私は承諾した。この時、私は勝利を予感した。やっぱり、本物のビギナーだ。
 ゲームを始める。キューブを使う。パッシングキューブである。考える余地はないはずだ。しかし、彼は長考する。やがて、彼はこのゲームはパスするが、このポジションを取らせてくれと言う。私は快諾した。このとき、私は自分の勝利を確信した。彼のニックネームは「南雲1号」となった。
 彼のガールフレンドがやって来て、彼の隣に座った。なかなか可愛い娘である。どうやら、彼はデンマーク青年団の一員らしい。
 その後もゲームの要所であろうが、なかろうが、彼はしばしば長考した。私は暇をもてあましていた。彼女が脚を組み替える。見えたような気がする。彼女も暇をもてあましているらしく、しきりに脚を組み替える。そんなことを2時間もしているうちに負けてしまった。あれは作戦だったのだろうか。

 とりえずすることのなくなった私はジャックポットにエントリーした。まずは様子見だ。
 ビギナー+インタメディエイトオンリー(初・中級のみ)の安い方(通常F200,F300,F500が御開帳している。他にも16人で行われる$1000のものや、64人・$1000のスーパージャックポットがある)から始める。負けてしまう。
 すぐに次のジャックポットに参加する。今度はF300だ。また、負ける。再々度、エントリーする。一気に負けを取り戻すつもりでF500にする。またも負けてしまう。
 完全に熱くなっている私は、あることに気付いた。オープンの方が回転がよい。特にF500は最も回転が早いではないか。この後、オープンのF500に切り換えた私は、坂道の小石のように止まることなく、1フランも手にすることなく、さらに3連敗した。
 今日一日で7連敗だ。昨日までの勢いは何処へ行ってしまったのだろう。そんなことを考えながら、通称「敗者の坂道」を登って、アレキサンドラホテルへ帰った。

 水曜日である。スーパージャックポットの日だ。
 私は迷っていた。旅立ちに先立って練り上げた戦略の一つは、月曜日のトーマセン事件により既に達成している。昨日から調子が悪い。$1000といえばサラリーマンの私には大金だ。何故私はここにいるのだろう。もしかして勝てるかも。色々なことが頭の中を渦巻いていた。
 ローズホテルに着く、まだ会場は開いていない。早めににエントリーしないと定員に達してしまうぞと噂が聞こえる。雰囲気に呑まれて、結局エントリーしてしまった。
 トーナメント表が掲示される。自分の名前を探す。確かにある。隣は知らない名前だ。
 更にその隣をみる。ポール・マグリエルだ。ポール・マグリエルと言えば80年代90年代を通じてギャモン界でもっとも有名な超一流プレーヤーだ。一つ勝てばポールとできる。このとき、エントリーして本当に良かったと思った。

 第1回戦。風采のあがらないおっさんだ。軽くあしらってやる。
 私はポールの試合が気になってしかたがない。会場を探す。人垣ができている。帽子を被ったプレーヤーだ。ポール・マグリエルだ。
 スーパージャックポットの1回戦からギャラリーを集めることができるなんて、やはり彼はスーパースターだ。相手は見知らぬ青年だ。スコアーを見る。ポールが負けている。私は嫌な予感がした。しかし、13ポイントマッチだ、強い方が勝つに決まっている。そう自分に言い聞かせ、しばしの休憩をとる。
 私が会場の片隅で集中力を高めていると、下平氏がやって来て、ポール・マグリエルが負けそうだよ言っている。予感は的中した。人垣から覗き込む。若い者には勢いがある。
 「どうした、ポール」私は心の中で叫んだ。
 1時間程の休憩をとり、第2回戦に臨む。あっさりと負けてしまう。私はポールに負けるために$1000払ったのであって無名のぼうやに負けにきたのではない。ギャモンというゲームの本質を思い知らされてしまった。

 その夜は、ガラディナーの夜だった。
 私は下平夫妻の計らいで、マーチン一家と同席することができた。彼は、ヨーロッパバックギャモンニュースの主催者であり、バックギャモングッズの行商人でもあった。とても美味しいフランス料理のフルコースを食べ、大変素晴らしいレビューを楽しんだ。(ビデオ参照)
 二次会は同じスポーツクラブの地下のナイトクラブで行われた。謎の東洋風の造りで高級感溢れるお店だ。但し少々お高い。(シャンパングラス1杯3千円位)
 ここで久し振りに篠氏と会話することができた。彼は10年近く前から海外遠征を繰り返している強者だ。私は、お金儲けの秘訣を伝授された。元手が少なければ、ジャックポットに専念しろと。負けの込んでいる私には素直に聞けるアドバイスであった。

         次回は最終回です。


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