home nbsp;「Jリーグ発足秘話」その一 by 長谷川 俊介

 Jリーグ発足以来一年五ヵ月が経過しました。会員数も増え、日本バックギャモン協会 も引継ぎ、大阪でも支部が発足し、これからより一層の発展が期待できるようにまりまし た。
 当連盟では未だに詳細な会則や規約を明文化したものはありませんが、連盟発足に際し て、関係者で議論をつくしたことを今回は紹介し、連盟の理念や目的を理解して戴ければ 幸いです。

 Jリーグ発足の直接の原因は、今を遡ること三年前の下平氏の日本選手権優勝、ベニス へのバックギャモンオリンピック派遣から始まります。
 彼は世界の強豪を相手にそこそこの成績を残すことができました。この時、あっさり一 回戦負けし、身ぐるみ剥がされて帰ってきていれば、今日のJリーグは存在していないで しょう。
 勝ち進むことによって、一流のプレーヤーと交流を深めることができ、世界のレベルを 知ることとともに、自分のレベルの低さを思い知らされたそうです。
 また、アンバサダー(大使)に任命されたことも重なり、ギャモンを真面目に取り組む ようになりました。

 彼は洋書を取り寄せ研究するようになりました。ガミガミの起源はここに始まります。
 知れば知るほど正確なムーブ以外のムーブは、認めることが出来なくなり、思わず、声 が出る手が出るようになりました。
 ここが彼の良いところで、知識の出し惜しみなどしないので、私は大変楽に知識を得る ことができました。

 バックギャモンの勝ち負けは、その技術・知識量の差よりも、ダイスの出目の差による 影響が大きいため、誰が一番強いのか、また、自分の実力はどれくらいなのかを、判断す る基準が難しい。
 自称日本一、自称上級者ばかり溢れ、真摯な気持ちで勉強する者が、数年来居なくなっ てしまった。
 十数年ほど前は、洋書を読んだりプロポジションを朝までやったりする雰囲気が一部に は存在したが、世界に出ていくつもりが、皆なかったので、ある程度勝てる(納得できる )ようになると、そんな向上心をなくしてしまった。
 レートが高い方が偉いんだという変な風潮が生まれたのもその頃で、多くの死人をだし てしまった。

 しかし、世界のギャモン界の動きは八十年代の後半から急速に研究が進み、それ以前の 理論は殆ど意味のないものになっていしまった。
 また、彼は世界と交流するなかで、デンマークでは、僅か数年間でギャモン会員が五万 人になったことを知りました。ちなみに、一昨年のモンテカルロ大会優勝者ピーター・ト ーマセンはデンマークの学生です。

 何故、こんなに面白いゲームが日本では広がっていかないのか。日本バックギャモン協 会発足以来、二十年以上経過しているじゃないか、BPCもあったじゃないか。
 地区対抗戦は毎年、参加者の平均年齢を一歳引き上げ、同窓会の様相を呈しているし、 日本選手権の初級戦には毎年多数の参加者が来ていたはずだが、みんな何処へいってしま ったんだろう。所謂「上級者」は何故安定した成績を残せないんだろう。
 大会の運営方法に問題があるのでは。ショートレンジのトーナメントでは実力が反映で きないと彼は考え、自ら大会を主催したのが下北沢の大会である。

 下北沢の大会では、いろいろな試みがなされた。第一回戦から11ポイントマッチから 始める。コンソレーションマッチを充実する。ジャックポットを行うなどした。
 その中でも11ポイントマッチ三番勝負大会は、ロングレンジのマッチを戦う能力を、 ほとんどのプレーヤーが持ち合わせていないことをを露呈した結果に終わったように思わ れる。

 宮崎氏、下平氏、古川氏に私は、三桂クラブ閉店後、毎晩のようにミーティングを繰り 返した。
 「バックギャモンは文化でいくんだ。」と宮崎氏が主張する。ポーカーやマージャンの ようにしてはならない。囲碁・将棋のようにすべきだ。三桂で、新連盟を起こす気概を見 せる。
 「ヒーローが必要なんだ。」と下平氏は言い切る。頂点が低ければ裾野は広がらない。 世界に通用するプレーヤーを育てる(になる)べきだ。
 人口を増やすことが第一の目標だ。この点で意見の一致を見た。ではどうするんだ。
 まづ、ゲームのできる場所を提供すること。これは、三桂クラブがあるので当面の課題 ではない。
 どの様に運営するか。トーナメントか、ラウンドロビンか。リーグ戦か。
 どれも、これまで協会やBPCでやってきたことだ。

 トーナメントでは、一回負けたら、お終いだ。すぐに暇な人の盛り合わせになってしま う。また、ジャックポットを行ってもよいが、慣れない人には不評であることは、下北沢 の大会で明らかである。

 定額で一日中遊べる方法でなければいけいない。では、ラウンドロビンか。全員反対。
 ラウンドロビンでは、バックギャモンに一番大切なキューブアクションに意味がなくな り、良いプレーヤーが育たない。と下平氏は強く主張した。また、世界ではラウンドロビ ンなぞ行われていない。
 これまで慣れ親しんだものだから、なくすことはないだろう。と古川氏は言ったが、ど うしてもやりたい人は、八丁堀(協会の月例会)でも、最上(沼沢氏のお店、一回で二度 美味しい)でも行けばいいんだということで。Jリーグでは排除することにした。

 リーグ戦はどうか。これも問題がある。まづ、第一にメンバーが固定されてしまう。こ れでは、普及にはならない。メンバーの選考方法も公正を期す必要がある。一部リーグ二 部リーグでは、二部リーグの人間はやる気が起きない。また、リーグ戦の後半で勝敗が明 らかになると、消化ゲームになり、真剣にゲームをしなくなってしまう。

 どんな方法を用いれば良いのか。継続性が高く、いつでも真剣に試合ができて、上級者 も初心者にも楽しめて、それでいて、実力を評価・反映できるものはないか。ミーティン グは繰り返される。
 生ビールの美味しい季節になった。新連盟発足を秋以降(日本選手権後)に考えていた ので、ミーティングは千日手になっていたにも係わらず、真剣な議論はすぐに、酒の肴に なっていた。
 そんな夏のある日、一人の男が三桂クラブに現れた。白石氏通称”ジェイ”である。

                つづく


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