home 会報96年9月号より  ’96 モンテカルロ遠征記「ピータートマセンの逆襲」 by 長谷川 俊介

 月曜日の夜はウェルカムパーティがある。カクテルパーティである。会場の大広間の脇の地中海を臨んだラウンジで行なわれる。こちらはサマータイムなのでまだ、ほのかに明るい。
 このパーティで、一応全員集合となり、今年は誰が来たか、来なかったかがわかる。そこここで再会を喜び合っている場面に出会う。
 モンテカルロの大会は、数ある国際大会の中でも、最もゴージャスであり、参加者が多い。我々のように、モンテカルロにしか来ないような遠隔地のプレーヤーも多く、一種の同窓会みたいな雰囲気もある。大会はオープン参加でありアマプロ混合だし、中級、初級戦もある。

 パーティが終わると、会場の扉が再開する。勿論、皆待ちかねたようにゲームを再開する。基本的にギャモンプレーヤーは3度の飯よりバックギャモンが好きである。
 私も、ジャックポットにエントリーする。手始めに1000フランからだ。大したメンツではないことは、一目で判ったが、2回戦であっさり負けてしまった。

 会場で暇そうにしている仲間を連れ、飲み直しにいく。明日からトーナメントだ。ゆっくり飲んでられるのも今夜限りである。
 モンテカルロの物価はそんなに安くないが、酒代は日本みたいに高くはない。 英語があまり達者ではない(フランス語はもっとできない)我々は、空のワインボトルをかざし、ワンモア、ワンモアと繰り返すばかりである。

 みたび、会場へ戻る。また、ジャックポットにエントリーする。今度は500フランだ。
 騒がしいフレンチボーイだった。この馬鹿に付き合って騒げるほど元気が(若さ)が残っていないせいか、振り負けて、1回戦で敗退した。
 不貞寝する。

 火曜日の朝。目覚めると、窓の向こうに大きな帆船が見える。こっちのお金持ちは違うなっと思い知らされる。
 事実、バックギャモンプレーヤーの中でも、日本人グループは貧乏のほうである。
 世界的に日本人は金持ちと思われているので、最初は、かなり高いレートでゲームをしよう誘われた。
 しかし、毎年来ているので、最近ではトーナメント会場にいる日本人は、そんなに持っていないことがばれているので、(我々にとって)法外なレートでやろうという輩は減った。それでもマネープレッシャーと闘わねばならない。

 午後2時、会場へ下りる。トーナメント表をみる。チャンピオンシップの参加者は200人を少し切っている。バイを引けなかった。1回多く対戦しなければならない。今日は17ポイントマッチを二つだ。

 指定の席につき、相手を待つ。中年のイタリア人だ。しかし、落ち着きがある。所謂、脳天気なイタリアーノのおっちゃんとは雰囲気が違う。
 用心しながらゲームを進める。思ったとおり、かなりの上級者である。私の出目は、そんなに悪くはなかったので、時折、スーパーショットも出したが、相手はしっかりセルフコントロールができていて、感情的にはならなかった。
 終始、押され気味にマッチは進んだ。
 私の3−9で迎えたゲーム。ギャモントライではあるが、あせり気味に早目のリダブルをした。
 しかし、強烈なカウンターをくらい、逆に、2メンクローズアウトされてしまった。まだ、相手の駒は私の4プラに2枚捕まっている。このまま、ギャモン負けなら、マッチを失ってしまう。
 私は4ゾロを念じた。1度目は4−2だ。まだ、ボードは壊れない。相手もスペアマンを失っているので、慎重にシェイクしている、こっちの念も高まる。
 出た!4ゾロだ。相手のボードが2ケ所空く。この難局を乗り切った私は、じりじりと追い上げ、何とか勝ちを拾うことができた。

 次の対戦まで時間があったので、会場をふらふらしていたら、1回戦の相手が話かけてきた。
 あの時(4ゾロ振る前)、リダブルしたら、どうしたと尋ねられた。勿論、パスである。しかし、ギャモントライは正解であるとも答えた。彼も同意したし、そうプレーもした。
 私は気になって、彼の名前を確認した。79年のチャンピオン、ルイジ・ビラ氏であることがわかったのは、翌日に、エキシビジョンマッチである過去の優勝経験者によるチャンピオンズトーナメントの組み合わせ表を見た時である。

 2回戦の相手は問題なく、あしらってやった。
 この大会の参加者約200人の内、所謂、プロ及びプロ級のプレーヤーは50人も居ない。大半は田舎の腕自慢達である。
 取りあえず、無事に初日は勝ち残ることができた。 

 まだ、6時前、宵の口だ。
 今晩どう過ごそうかと、会場をぶらぶら(要するに、ピジョンを物色)していると、後ろから私の肩を叩く者がいる。
 振り返ると、そこに、ピーター・トマセンがいるではないか。
 彼は93年のワールドチャンピオンであり、94年にも準優勝している若手のナンバーワンプレーヤーだ。
 私と彼は2年前にひょんなことから、4時間にわたり死闘を繰り広げたことがある(JBL会報94年9月号参照)。この時は辛くも私の19ポイント勝ちで終わっている。

 「軽く10ゲームやろうぜ。」みたいなことを言うので、始めることにした。
 彼はまだ学生なので、レートが安くてもやってくれる。1点100フランとなる。通常、このクラスのプレーヤーとプライベートにゲームをするには1点数百ドルはする。
 相変らず、鋭い目を出す奴だ。出目がいいのは強いプレーヤーの必須条件だ。私の目もそんなに悪くないのだが、終始追い込まれた展開になる。
 10ゲームを過ぎた。私のマイナスのままだ。奴は止めようとしない。朝まで延長戦だと覚悟を決める。
 この後5時間くらいゲームを続ける。
 しかし、疲れは感じない。ゲームの流れに淀みがない。お互いのキューブポジションが一致しているので、キューブ手をかけるまでもなく決着がつくゲームが多い。
 12時過ぎに、お腹が空いたのでゲームを中断する。8点負けだ。
 再戦の約束をして、別れる。

 明日のために体力を温存せねばならない。

                    きっとつづく  


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